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響PAPA ROCK&BMWMINI2009 楽しめばよかよ

日本のロック Charを忘れるな

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1973年から1975年にかけての頃、イギリスやアメリカのロック・ミュージックに慣れ親しんだロック・ファンの耳にも充分に応えてくれそうな日本のバンドが少しずつシーンに登場した。1972年にサディスティック・ミカ・バンドが、1973年にコスモス・ファクトリーが、1974年には四人囃子、1975年になるとクリエイションやカルメン・マキ&OZなどがデビュー・アルバムを発表する。それらのバンドは英米のロックの模倣にとどまらない独自の音楽性を確立しており、日本のロック・シーンもいよいよ新たな時代を迎えたようにも思われた。そのような中、確固たる人気と評価を獲得しながらもいっこうにレコード・デビューに至らないバンドがあった。スモーキー・メディスンである。  レコードが発売されていないにも関わらず、スモーキー・メディスンは音楽メディアで取り上げられる機会も多く、すでに当時の日本ロック・シーンの頂点の一角に位置していたといっても過言ではない。スモーキー・メディスンはあまりオリジナル曲は無く、カヴァー演奏が主体だったというが、その演奏と歌唱の圧倒的な力量によって人気と評価を勝ち得ていたのだろう。特に、ギタリストのチャーの人気が凄かった。クリエイションの竹田和夫、四人囃子の森園勝敏と共に、「日本の三大ロック・ギタリスト」などと呼ばれたのもこの頃だった。ヴォーカリストだった金子マリの人気もまた想像以上のものだった。「下北沢のジャニス」などと呼ばれ、当時の日本ロック・シーンで比類無き女性ヴォーカリストとしての地位を確立していたと言ってもいい。  
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e0075675_4402473.gifチャー、金子マリ、鳴瀬喜博、佐藤準、藤井章司という、今から考えれば驚くべき錚々たるメンバーを擁したスモーキー・メディスンは、しかし結局レコード・デビューには至らなかった。1972年に結成されたというスモーキー・メディスンは、1974年には解散、そのまま日本ロック黎明期の「伝説」となってしまった。そのスモーキー・メディスンが2002年春に四人囃子と共に復活コンサートを行ったことはファンにとっては記憶に新しい。この時は佐藤準が不参加だったために「スモーキー・メディスン」ならぬ「スモーキー・メディスソ」というバンド名だったが。 お恥ずかしい話だが、実は「スモーキー・メディスン」の演奏というものを耳にしたことがない。1970年代初期当時、地方に暮らす身であったために東京近郊で活動するバンドの生演奏に触れる機会はなかった。レコード・デビューすることもなく解散したスモーキー・メディスンの演奏はついに耳にする機会に恵まれず、そのまま個人的にも「伝説」のバンドとなってしまった。  だからチャーというギタリストについても、実際にその演奏を聴く機会もないままに想像だけが膨らんだ。スモーキー・メディスンが解散して後、「ギタリストのチャーが渡米してバンドのメンバーを探し、いよいよレコード・デビューする」というニュースを耳にした時、未だ聴いたことのないその音楽に大いに期待したものだった。  チャーのギター・プレイを初めて耳にする機会は、しかし意外な形で訪れた。頭脳警察解散後のパンタのソロ・デビュー・アルバム「PANTAX'S WORLD」にチャーが客演していた、「PANTAX'S WORLD」は1976年の春に発表、チャーのソロ・デビュー直前の時期だった。「PANTAX'S WORLD」はさまざまなミュージシャンが客演していて、セッション的な性格も濃いアルバムだった。
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by kibmx | 2006-11-05 04:15
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