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響PAPA ROCK&BMWMINI2009 楽しめばよかよ

本日、武道館へ スローハンドと呼ばれたお方との接触 

今年5月からつづけられているワールド・ツアーのメンバー。さらに2人のボーカリスト(ミッシェル・ジョンとシャロン・ホワイト)が加わり、クラプトン自身を含めると9人編成のユニットで彼らは連日、素晴らしいステージを聞かせてくれるはず
行ってきま~す武道館へ  雨だけど、ジャパンツアー最終日楽しみです。
どんなサプライズが待っているのか
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WILLIE WEEKS
ウイリー・ウィークス/BASS
ノース・キャロライナ州に生まれ、1970年代の初頭からスタジオ・ワークやツアーで活躍をつづけてきたベーシスト。スティーヴィー・ワンダー、ジョージ・ハリスン、ローリング・ストーンズ、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソン、ドゥービー・ブラザーズといった共演アーティストの豪華な顔ぶれがそのまま彼の評価の高さを示すものといえるだろう。

STEVE JORDAN
スティーヴ・ジョーダン/DRUMS
ニューヨーク出身。ドラマーだけでなく、数多くの楽器をこなすマルチ・アーティスト。70年代に『サタデー・ナイト・ライヴ』のハウス・バンドのメンバーとして注目されるようになり、あのブルース・ブラザーズにも参加。キース・リチャーズやニール・ヤングといった大物の実力派たちから絶大な信頼を集めていて、最近ではジョン・メイヤーのトリオにも籍を置いている。

CHRIS STAINTON
クリス・ステイントン/KEYBOARDS
1979年以来ほぼレギュラー扱いでクラプトン・バンドに参加し、ツアーやレコーディングに貢献してきたイギリス出身のベテラン・キーボーディスト。60年代半ばにジョー・コッカーと活動をともにするようになり、それがきっかけで注目を集めるようになった彼は、ほかにザ・フーやリンゴ・スター、レオン・ラッセルらのレコーディングにも参加している。

DEREK TRUCKS
デレク・トラックス/GUITAR
まだ27歳になったばかりだが、各方面から現代最高のスライド・ギタリストと賞賛されている天才アーティスト。オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・メンバー、ブッチ・トラックスが叔父だったこともあり、早くからギターを弾きはじめ、十代半ばで結成したデレク・トラックス・バンドで圧倒的な評価を確立したあと、1999年、正式メンバーとしてオールマンズに迎えられている。歴史的名盤『レイラ』にも大きく貢献したデュアン・オールマンの再来といわれているデレクの今回のツアーへの参加は、クラプトン自身の強い希望で実現したものだ。

DOYLE BRAMHALL II
ドイル・ブラムホールII/ 
1968年、テキサス州生まれ。父親がスティーヴィー・レイ・ヴォーンやジミー・ヴォーンの音楽仲間だったという環境に育ち、実際にヴォーン兄弟から刺激を受けてギターを弾きはじめたという左利きのギタリスト。90年にチャーリー・セクストンと組んだアーク・エンジェルスで注目を集めたあと、ソロでも活躍し、2004年から正式にクラプトン・バンドに参加。クロスロード・ギター・フェスティバルでも素幅らしいギター・プレイを披露している。

TIM CARMON
ティム・カーモン/KEYBOARDS
ジャズからR&B、ポップスまで幅広い分野で活躍しているワシントンD.C.出身のキーボーディスト。ベイビーフェイスのアンプラグド・セッションをきっかけにクラプトンと出会い、1999年にマジソン・スクエア・ガーデンで開催されたクロスロード・コンサートにも参加している。

SLOWHAND
エリッククラプトン/ON GUITAR
 1945年3月30日、ロンドンの少し南に位置するサーレイ州リプリーという小さな街に生まれる。誕生直後に両親が離別したため祖父母に引き取られ、彼らの子供として育てられるという複雑な幼少年期を送り、歳の離れた兄だと思い込まされていた叔父の影響で早くからアメリカ音楽に親しんだ。やがてその興味はロックンロールからブルースへと向かい、自らもギターを手に取ったクラプトンは、1963年、18歳の時、ヤードバーズに参加。端正なルックスにも助けられて一躍、注目の存在となっていっていく。しかし、人気や名声よりもブルースを追求することに価値を見出していた彼は、ヤードバーズのポップ路線進出を嫌ってバンドから脱退。ブリティッシュ・ブルース界の指導者的存在だったジョン・メイオールのブルースブレイカーズにしばらく籍を置き、さらにブルースの道を究めていくこととなる。

 そういった試行錯誤の時期をへて、1966年、クラプトンはジャズにも精通した二人の優秀なミュージシャン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーとクリームを結成する。ロック・バンドの表現領域と可能性を飛躍的に拡大させたこのバンドの成功によって「ロック界最高のギタリスト」の称号を手に入れた彼は、その後、スティーヴ・ウインウッドらと組んだブラインド・フェイスの全米ツアーをきっかけにアメリカ人ミュージシャンたちと積極的に交流を持つようになり、彼らの協力を得て、1970年春に最初のソロ・アルバム『エリック・クラプトン』を発表。そして、さらにそのコンセプトを発展させ、デレク&ザ・ドミノスの名義であの歴史的名盤『レイラ』を完成させたのだった。

 その後、さまざまな事情からクラプトンは数年間の空白期を送ることとなるが、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の全米NO.1ヒットを生んだ1974年のアルバム『461 オーシャン・ブルーヴァード』で復活。この年の秋に記念すべき初来日公演を実現させている。以来、日本には定期的に訪れるようになり、79年の来日公演からライヴ・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト』を残したことも忘れられない。また、1988年に行なわれた25周年記念来日公演には、親友のエルトン・ジョンとマーク・ノップラーが参加している。

 1991年春、クラプトンは幼い息子を事故で失うという悲劇を体験するが、その年の暮れには、ジョージ・ハリスンとのジャパン・ツアーを成功させ、亡き息子に捧げた「ティアーズ・イン・ヘヴン」の大ヒットでファン層を大きく拡大させることとなった。さらにアルバム『アンプラグド』の驚異的なヒットがつづき、93年の春にはグラミー賞6部門制覇の偉業を成し遂げている。

 そういった大きな成功を受けて、94年には初の本格的ブルース・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』、98年には自伝的な『ピルグリム』と、注目すべき作品をつぎつぎと発表。創作活動と並行して、カリブ海に私費を投じて建設した更生施設、クロスロード・センターの運営にも積極的に取り組んできた。

 2003年の11月から12月にかけて日本各地を回った前回のジャパン・ツアーでは延べ20万人以上のファンを集めている。
by kibmx | 2006-12-09 13:06
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