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響PAPA ROCK&BMWMINI2009 楽しめばよかよ

2007年 09月 05日 ( 1 )

ジェイク

1976年11月3日生まれ /ハワイ州ホノルル出身
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 わずか4歳より母の影響でウクレレを始めたジェイクは、1998年にピュア・ハート(PURE HEART)のメンバーとしてデビューを果たす。ピュア・ハートは、同年、デビュー・アルバム、『ピュア・ハート』をリリース。そして翌99年にはハワイのグラミー賞と称されるナ・ホク・ハノハノ・アウォーズで新人賞や最優秀アルバム賞を含む主要4部門を受賞。また、00年にも、セカンド・アルバム『ピュア・ハート2』で再び最優秀アルバム賞を受賞。
 その後、ピュア・ハートは解散するものの、同年には新バンド、コロン(COLON)を結成。アルバム『THE GROOVE MACHINE』で3年連続となるナ・ホク・ハノハノ・アウォーズを受賞。そしてコロン解散に伴いジェイクは、02年1月にソロ・アーティストとしての活動をスタートさせた。

 ジェイクの登場によってそれまでのウクレレ・ミュージックの概念は大きく変化していく。彼は、ウクレレという楽器の即興性を存分に活かしつつも、クラシックやジャズ、ロック、ブルーズといったあらゆるジャンルの音楽を、卓越したテクニックと独自のフィーリングで情熱的なサウンドへと昇華し、綿々と続いてきたハワイアン・ミュージック・シーンに大きなショックと驚きを与えていった。ジェフ・ベックやジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァン・ヘイレンといった名ギタリストたちの音楽を聴きながら、そのプレイをウクレレで表現しようと考えたニュー・ウェイヴ、それがジェイク・シマブクロである。

 02年4月、ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルと専属契約を交わし、同年7月にソロ・デビュー作となるミニ・アルバム『サンデー・モーニング』を発表。8月には初めての単独東京/大阪公演も成功させた。また11月には『サンデー・モーニング』の続編ミニ・アルバム『スカインライン』を発表。これら2枚の作品は地元ハワイでは1枚のフル・アルバムにまとめられ、『サンデー・モーニング』としてリリースされた(以後、この『サンデー・モーニング』をファースト・フル・アルバムとして数える)。

 そして03年のナ・ホク・ハノハノ・アウォーズでは全賞の中で唯一、一般からの投票によって決められるFavorite Entertainer of the Year(今年のお気に入りエンターテイナー賞)と最優秀インストゥルメンタル・アルバム賞の2冠に輝く。これによりジェイクはピュア・ハート、コロン、そしてソロ・アーティストとしてそれぞれのステージでの受賞アーティストとなった。03年7月にはセカンド・アルバム『クロスカレント』をリリース。またウクレレ・プレイヤーとしては初のフジロック・フェスティバル03のステージにも立ち、ホワイトステージでは、当日朝一番の出演が決まっていたギターウルフのさらに前にサプライズで登場、観客を湧かせた。また降りしきる雨の中、ジェイク・シマブクロ&ザ・カットバックというグループを率いて熱いステージを繰り広げ、目の肥えたフジロッカーズたちを驚かせた。この時の模様を地元ハワイのTV局がジェイク・シマブクロ特番として放映し、視聴者のアンコールに応える形で都合4回にわたって再放送された。フジ・ロック後、8月のジャパン・ツアーでは札幌から沖縄までの全6公演を行ない、東京公演では赤坂ブリッツ2日間を完全ソールド・アウトにした。

 04年1月、ジェイクにとっては初めてとなる単独ニューヨーク公演が実現。アメリカ本土ではまだアルバムのリリース前だったにもかかわらず、チケットは完売と大盛況。3月には、日米交流150周年外務大臣賞が発表され、ハワイからは15の団体・個人が受賞した中にジェイク・シマブクロの名前も。さらにこの月、前年の赤坂ブリッツ公演を収録した初のDVD作品『プレイ・ラウド・ウクレレ』をリリース。同年6月には3作目のフル・アルバム『ウォーキング・ダウン・レインヒル』を発表。このアルバムには、ハワイ州観光局イメージキャラクターに抜擢されて書いたキャンペーン・ソング「レインボー」が収録された。ナ・ホク・ハノハノ・アウォーズでは、またも最優秀インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞。その一方ではニューヨークでギターの神様レス・ポールと共演する幸運にも恵まれ、恒例となった夏のジャパン・ツアーとクリスマス・ライヴも大成功のうちに終わった。

05年、前年に引き続きハワイ州観光局イメージキャラクターに抜擢されたジェイクは、新たなキャンペーン・ソング「ウィズ・ユー・オールウェイズ」をヒットさせた。そして自らの干支と敬愛するカンフー・マスター=ブルース・リーの愛称からネーミングした通算4作目となる最新アルバム『ドラゴン』を、日本のみならず、全米でも遂にリリース。それに伴い、世界最大規模を誇るエージェントとの契約も完了し、活躍の場を広げる準備は万端に整った。8月、全米ツアー中のナッシュヴィルでレコーディングを行ない、初のウクレレ・ソロ作品『ピース、ラヴ&ウクレレ』を完成させ、11月にリリースした。夏のジャパン・ツアーの締めくくりとなった日比谷野外音楽堂でのショウも大成功に。12月には全米ネットワークNBCの人気番組『コナン・オブライエン・ショウ』に出演、各方面から絶賛され、注目度も急上昇。クリスマス時期に行なわれた日本公演では、また一回りもふた回りも成長したジェイクの姿を見る事ができた。

06年のジェイク・シマブクロは、かつてないほど多忙かつバイタリティに溢れた1年を送った。3年連続となるハワイ州観光局イメージキャラクター抜擢で、新曲「オン・ザ・ロード」を提供。そして、遂に日本映画界にも進出。06年9月に公開され、後にアカデミー賞外国語映画賞を決める際の日本代表に選ばれた『フラガール』(昭和40年代の福島県いわき市を舞台に常磐ハワイアンセンター<現:スパリゾートハワイアンズ>のオープンまでの実話を背景に描かれる人間ドラマ)で音楽を担当したのだ。夏には全国を回る大規模なジャパン・ツアーを敢行、そして遂にアメリカ本土でも名前が知れ渡るようになり、ツアーは連日連夜大盛況となった。さらに我々日本のファンにとって喜ばしかった出来事は、大晦日の紅白歌合戦出場である。正確には夏川りみさんの共演者という立場でステージに立ったジェイクだが、短い時間に強烈なインパクトを残す素晴らしい演奏は、さらに彼の名前を広めることになったのだ。

07年。マウイ島にあるMACCでの恒例ライヴを終えると本土へ飛び出して行ったジェイク。各地で熱狂的に迎えられた後、5月からは日本で『live image 6』に参加。錚々たるメンバーとの素晴らしいコラボレーションは、ジェイクを新たな領域へと誘ったようだ。また、この春、実弟ブルース・シマブクロの本邦メジャー・デビュー作となる『ビッツ・アンド・ピーシィズ』でプロデューサー兼プレイヤーとして手腕をふるったことも記しておくべきだろう。夏には、フジ・ロック・フェスティバルへの正式出演(前回はプロモーション的意味合いが強かった)を皮切りに、様々なイヴェントへの出演、そして昨年に続いての大規模な全国ツアーが待っている。30代に突入したジェイクだが、ミュージシャンとしてのバイタリティや意欲、向上心が衰える気配
by kibmx | 2007-09-05 00:09